大阪城・上田城友好城郭宣言

大阪城・上田城友好城郭宣言
真田昌幸・幸村親子は、西軍に参加し関が原の戦場に向かう徳川秀忠三万の軍を上田城で阻止しました。

徳川秀忠三万の軍は、関が原の戦いに間に合わず、秀忠は家康の叱責を浴びました。

結果西軍は破れ、昌幸・幸村は紀州の九度山に幽閉されました。

時が経ち、1614年幸村は大阪冬の陣に豊臣方に参戦し、同年の10月10日に大阪城に入城いたしました。

しかし、武勇むなしく大阪夏の陣で天王寺の安居神社で戦死しました。

幸村の大阪城に対する思いを後世に伝えるため、全国初の友好城郭宣言がなされました。

この話は、財団法人住吉名勝保存会髙野伸生理事長が、上田在住の福島義徳氏(著名:安西郁氏)を通じて両市長との橋渡しをされて実現したものです。