松尾芭蕉は元禄七年来阪し、住吉大社の宝之市神事に詣でて、その足で門前の升の市に立ち寄りました。
ところが病になり、すぐに難波の弟子の家に帰り病床に伏せました。その時に他の弟子に送った句が、明治元年に大阪の俳句結社浪花月花社が住吉公園内に句碑を建立されました。
ただ汐掛道の道路脇に、句碑だけが勃然と立っていて目立たない存在でしたので、財団法人住吉名勝保存会の手によって、句碑を竹垣で囲み説明の銘板を建てて整備いたしました。
芭蕉の句 『升買て 分別かはる 月見かな』
松尾芭蕉は元禄七年来阪し、住吉大社の宝之市神事に詣でて、その足で門前の升の市に立ち寄りました。
ところが病になり、すぐに難波の弟子の家に帰り病床に伏せました。その時に他の弟子に送った句が、明治元年に大阪の俳句結社浪花月花社が住吉公園内に句碑を建立されました。
ただ汐掛道の道路脇に、句碑だけが勃然と立っていて目立たない存在でしたので、財団法人住吉名勝保存会の手によって、句碑を竹垣で囲み説明の銘板を建てて整備いたしました。
芭蕉の句 『升買て 分別かはる 月見かな』