近松門左衛門は、江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者で義理、人情の機微を美しい詞章とすぐれた作劇術で描き「曽根崎心中」他、数多くの作品が残されています。
近松の墓は、現中央区谷町の妙法寺にありましたが谷町筋の道路拡張のためお寺と一緒に大東市へ移ることになりました。
しかしながら近松の墓は国の史蹟に指定されており他所へ移動しては国の史蹟からはずされることになるので近松家・近松研究会・妙法寺芸能界の間を七年の歳月をかけ調整のため東奔西走しました。
結果、大東の妙法寺には大阪市に再建する「本墓」と同じ大きさ、同じ材料を用いて「陰墓」を建てることで了解がとれ、昭和55年11月大阪市中央区谷町に復元再建しました。